失業春秋

Vol.7 =Gloria=

この映画を深夜放送でやるとは、思っていなかった。
いわゆる名作って言うのじゃないけど、前から見たかった映画だったんだ。
確か昔、ジョンカサベテスが監督して取った映画のリメイクじゃないかな。
シャロンストーンがすごくいい。
足がいい。短いスカートで、颯爽と歩く。セクシーなだけじゃなく、足が空気を切っている。
家族を殺された男の子を、最初は憐れみから面倒見るんだけど、
しまいには、自分の方が離れられなくなる。クールな女が、ウェットになる。
相手が子供だからと思っているから心に油断ができ、本心が出てしまうんだ。
だんだんと子供と思っていた少年のいう事が、女をくどく時のような言い方になる。

2002年9月14日(土)雨

Vol.6 =rain=

 

2002年6月12日(雨)

 

Vol.5 =Eluard=

日向に寝っころがり、エリュアールを読む。同じ文章を何度も読み、頭にこびりついたら、ベランダで一服。
雨の日にはヴェルレーヌか。秋の日のヴィオロンのためいきの・・・じゃなくて、巷に雨の降るごとくわが心に涙降る。の方が良い。
秋が来て、枯れ葉が舞う頃なら、なんと言ってもボードレーヌ。狭き門のなかでアリサがジェロームに教えたあの詩だよ。Adieu! Vive Clarte de Nos Etes Trop Courts.
いまは、光り輝く初夏。あぁ。頭に響く、エリュアールが。
je tiens la rue comme un verre plein de lumiere enchante

2002年5月27日

Vol.4 = le film noir =

la soliotude(孤独) le stoicisme(禁欲)
フィルムノワールと言う映画のジャンルがあった。
監督の筆頭は、メルビル。
男が、忠実に生き、死んだ。
c'est le samourai
なんか文句あっか!?

2002年5月19日

Vol.3 =クラプトンライブを見たよ=

真夜中にここに迷い込んでくる人は少ないんじゃないかな。
HeartがHurtで、Spiritsでのどを潤し、Spiritsが病んでいる奴しかこないかも。
書いている俺も、ほとんど今日は少々酔いどれで、ギターのサウンドでメロメロ。
一見真面目な失業評論。
だけど今夜は、ほとんどブルース。

クラプトンは、うまいって言うだけじゃない。
しみいる。ハートにダイレクトに。
ギターの音と、声が、えぐる。気持ちの深いところを。
これで、もう少し飲んだら、明け方まで聞いちまいそう。

うまいミュージッシャンならいくらでもいる。日本の新人だって今は相当うまい。
だからって自分から聞きたいとは思わない。ハートが物足りないから。
クラプトンあたりのクラスのミュージッシャンって、ロックやブルースの伝統継承者なんだ。
音楽の分類がちょっとうまくないんだと思うんだけど、クラプトンに比較できる日本の
ミュージッシャンとは、高橋竹山あたりが適当なんじゃないかとも感じる。
どちらも夜遅く。一人で聞いていて、文句なく心にしみいるサウンドを聞かせてくれるミュージッシャンだ。

5月5日:2002年

Vol.2

大学を出たときは、オイルショックの真っ最中。
法学部や経済学部の連中が四苦八苦しているのに文学部の小生になどいよいよもって就職口は無い。
卒業間じかにやっと決めた仕事は、車のセールスマン。
今と違って、当時は飛び込みが当たり前。
24時間営業のセールスマンに見切りをつけ、好きな本の関係ならなんでもいいと
思って入った古本屋に約20年。
つまらぬことで経営者の弟と話がこじれ、えいっままよ、どうにかなるさとケツをまくってから早3年。
いまや時代の寵児は失業者。
こちらも歳で、さらに仕事などなく、やっとOKの会社は、職安の書類とは全然違う労働条件。
仕事探しが下手ならば、恥じをさらして反面教師。こうはなるなとわが身の上を、インターネットにさらけ出し、
アタシのようにはなるなよと、多少は持ってるPC知識、HPを開いて、皆様が、
うまく仕事を見つけ出す、多少の助けになればいい。

3月14日

失業春秋

1月にADSLに変えたとき、プロバイダもニフティに変えました。
3月になってやっと、このHPもニフティの方に移動しました。
ついでにタイトルも、”幕間”なんてしゃれっぽい名前から”失業評論(A Review on Jobless)”に変えました。
今をときめく失業をタイトルにはっきり記したのは、初めてかもしれません。
そのうちロゴでも作って載せます。

2002/03/10

Vol.1  = たばこ =



思い起こせば、初めてたばこと言うものを口にしたのは、中学生のころ。
友達の1人に、母子家庭のせがれがいた。
彼のおふくろさんが留守のとき、がき連中が集まって、
そいつのアパートで、がやがやとやるのが、幼きわれらの楽しみの一つであった。
卒業間近のあるとき、友達の1人で警察官のせがれが、エコーをもってきて、
吸ってみないかと言う。
がき連中は、慣れない手つきでマッチを擦り、エコーに火をつける・・・
それが、小生の喫煙の始まりであった。
高校のときには、ショートホープをもっぱら吸い。たまに気が向くと、
ショートピースを吸った。
時代は、70年代はじめ、ビートルズが解散し、新宿では国際反戦ディーで荒れ、
造反遊離が跋扈する時代であった。
小生は、学生運動に身を投じるほど、意識は高くなく、
高校から大学までは、もっぱら映画を見て過ごした。
アートシアターで、アンドレイルブリョフを見、さそり座では、ビスコンティやブニュエルを見た。
文芸座では、大島渚の日本の夜と霧を見た。
灰とダイヤモンドは、どこで見たのか?
当時アテネフランセのシネマセンターは無料で、
一応フランス語に籍を置いていた小生など
夜はもっぱらシネマセンター通いを続けていた。
シベールの日曜日。これは見て泣けた。
今と同様貧乏であった小生は、もっぱら、しんせいやいこいを吸っていたが
バイトの給料日などには、銀座のソニープラザへ行き、
ゴロワーズやジターヌなどを買った。
それを授業やバイトの合間に吸うと、あまりのにおいのきつさに
周りの奴等から文字どおり煙たがられたものだった。
かまうものか。と小生は、粋がって吸い続けた。
そういや、ジョンレノンが、死ぬ間際まで吸っていたのはジターヌだ。確かそうだ。

たばこなんて、体に良くないし、貧乏の極致にいる今の小生などには、
懐にも良くない。
でも、小生にとっての思い出と言うものは、いつもゆらゆらとただようたばこの煙を
通して見えるあいつや、あの人の顔なのだ。
体が記憶しているたばこの香りをたどると、懐かしい顔が思い浮かんでくる。

次回へ続く (2002年3月11日)

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